鏡の左右反転

鏡の中では左右が反対に見えます。これが 「鏡映反転」 です。古来、多くの人たちが、「鏡に映ると、上下は反対にならないのに、左右が反対になるのは何故だろう?」 と首をかしげてきました。

2千数百年前、プラトンが対話編 『ティマイオス』 の中で、この鏡映反転の説明を試みています。プラトンは視覚について間違った理解をしていたので、鏡映反転の説明も間違っているのですが、この問題が紀元前から人びとの興味を惹いてきたということがわかります。

その後、多くの人びとが鏡映反転の説明を試みてきました。誰もが知っている身近な現象ですし、「左右が反対になる」 というだけの単純な現象にみえるので、ちょっと考えてみれば誰にでもすぐに答がわかりそうな気がします。ところが、数多くの哲学者、数学者、心理学者、それにノーベル賞を受賞した物理学者までが論じてきたにもかかわらず、鏡映反転が起きる理由については、未だに定説がないのです。

いろいろな説が提案されてきたものの、どの説に対しても、「これこれの事実が説明できないではないか」 という異論が突きつけられ、その異論に納得のいく答ができていないので、どれも定説として認められるには至っていないのです。科学読みものなどで、よく鏡映反転の説明を見かけますが、どれも正しい説明とはいえません。

普通は、「鏡に映ると、上下は反対にならないのに、左右が反対になるのは何故だろう?」 という疑問を抱きます。これまで提案されてきたいろいろな説も、なんとかして 「左右が反対になる」 理由を説明しようとしてきました。しかし、実は、鏡映反転は 「上下は反対にならないのに、左右は反対になる」 という単純な現象ではないのです。

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この写真で鏡に映っている 「F」 は、たしかに左右が反対になっていて、上下は反対になっていません。しかし、

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この 「F」 はどうでしょうか? もとの 「F」 では、2本の横棒は縦棒のにありますが、この鏡像の場合も、2本の横棒は縦棒のにあります。つまり、左右は反対になっていません。一方、縦棒の端についている横棒は、本来なら端に接しているはずなのに、この鏡像では端に接しています。つまり、上下が反対になっています。「上下は反対にならないのに、左右が反対になる」 というのとは、まったく逆です。

では、次の鏡像はどうでしょうか?

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2本の横棒は縦棒の左にありますから、もとの 「F」 と比べると、左右が反対になっています。端の横棒は下端についていますから、上下も反対になっています。左右と上下の両方が反対になる鏡像もあるわけです。

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この写真に写っている 「F」 は、もとの 「F」 とまったく変わりませんが、まちがいなく、鏡に映った鏡像です。鏡に映ると必ず何かが反対になるというわけではないのです。

では、次の鏡像はどうでしょう。

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左右は反対になっているでしょうか? 上下は反対になっているでしょうか?

「何とも言えない」 というのが正直な答ではないでしょうか。「鏡に映っているのだから、左右が反対になっているはずだ」 と思った人も、ほんとうに左右が反対に 「見える」 わけではないでしょう。しかも、これまで見てきた、上下だけが反対になっていたり、左右も上下も反対になっていたり、何も反対になっていなかったりする鏡像のことを考えれば、「鏡に映っているのだから、左右が反対になっているはずだ」 という推測があたっているという保証はありません。

このように、鏡映反転というのは、「鏡に映ると左右が反対になる」 というだけの単純な現象ではなく、実はかなり複雑な現象なのです。調べてみると、さらに多くの現象が見つかります。「鏡映反転が説明できた」 と言うためには、それらの現象がすべて残らず説明できなければなりません。

鏡映反転の説明として提案されてきたさまざまな説は、なんとかして左右の反転を説明しようと試みてきました。「鏡は、上下は反転せず、左右だけを反転するという物理的な性質をもっているのだ」 という説もありましたし、「鏡は左右軸だけを反転するのだ」 という説もありましたが、こういう説では、「鏡に映ると常に左右が反対になる」 ということになってしまい、左右が反転せずに上下だけが反転したり、何も反転しなかったりする場合が説明できなくなってしまいます。

しかし、「鏡映反転は1つの現象ではなく、3つの別々の現象の集まりなのだ」 と考えれば、鏡映反転にまつわる多種多様な現象は、すべてきれいに説明できるのです。その 「3つの別々の現象」 を、私は 「視点反転」 「表象反転」 「光学反転」 と呼んでいます。

1)視点反転

鏡と向かい合って、鏡に映った自分自身の鏡像を見ると、左右が反対に見えます。これが 「視点反転」 です。

この写真では、実物の園児は腕に赤いリボンを巻いていますが、鏡に映った園児はリボンを腕に巻いています。左右が反対になっているわけです。

この左右反転は、左右を判断するときに視点を切り替えることが原因で生じます。それが 「視点反転」 という名前の由来です。

実物のリボンは、実物の園児の視点から判断すれば 「」 にありますが、鏡像のリボンは、鏡像の園児の視点から判断すれば 「」 にあります。この視点の切り替えが左右反転の原因なのです。

視点を切り替えなければ、「左右が反対になっている」 という判断は生じません。事実、だいたい2割から3割の人が自分の鏡像について 「左右は反対になっていない」 と主張します。これは私の実験で初めて明らかになった事実です。

2)表象反転

文字を鏡に映すと、普通は左右が反対になって見えます。下の写真は、はじめに見た 「F」 の鏡像の写真です。

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左右が反対に見えるのは、頭の中にある 「F」 の形と比べたとき、鏡像の 「F」 は左右が反対になっているからです。なぜ左右が反対になっているのかというと、この場合は、普通の 「F」 を印刷した紙を鏡のほうに向けたからです。上下軸を中心にして、紙を180゜回転したので、左右が反対になったのです。

この種の鏡映反転は、鏡像を頭のなかにある文字の 「表象」 (記憶されている文字の形) と比較したときに認識されるので、「表象反転」 と名づけました。

この表象反転は、前の視点反転とはちがって、「2割から3割の人が認識しない」 ということはありません。「F」 の形をはっきり憶えている人なら、誰もが必ず認識します。

3)光学反転

物理的には、鏡はその表面に垂直な方向が反対に見えるような光学的変換をします。

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この写真では、「F」 の上下が鏡の面に垂直になっています。そのため、鏡のなかの 「F」 は上下が反対になって見えるのです。

「そんなに面倒なことを考えなくても、もっと簡単に説明できるのではないか」 と感じる人も少なくないのではないかと思いますが、下記の本を注意深く読んでいただければ、「もっと簡単に説明」 することはできないということが分かっていただけるのではないかと思います。

髙野陽太郎  『鏡映反転 ― 紀元前からの難問を解く』  (岩波書店 2015年)

この本では、鏡像の方向 (上下・前後・左右) がどう見えるのか、なぜそう見えるのかを詳しく説明しました。先ほど掲げた写真のように、「F」 の鏡像の上下と左右の両方が反対に見える場合や、どちらも反対に見えない場合についても、その理由が説明してあります。3種類の鏡映反転が互いに確かに違っているという証拠も示しました。鏡映反転を、単一の現象として、単一の原理で 「簡単に」 説明しようとした説は、どれも間違っているのですが、どこがどう間違っているのかも、詳しく説明してあります。

すべての説明や議論を収録すると分厚くて高価な本になってしまうので、複雑な議論は 「附章」 としてPDFファイルにまとめ、岩波書店のホームページから無料でダウンロードできるようにしてあります。この本には電子版もあるのですが、そちらには、附章も一緒に収録されています。

■ カーブミラー

最後に、本には載せなかったカーブミラーの話をひとつ。

車を運転していて、T字路にさしかかり、そこで左折しようとしていると想像してみてください。下の図は、その場面を上から見たところです。

交差点のカーブミラーには、これから入っていこうとしている左側の道路が下のように映っています。

自転車は、道路の向こう側にあるのでしょうか? それとも、こちら側にあるのでしょうか?

向こう側にあるように見えます。ですから、左折するとき、注意が向くのは向こう側になります。

ところが、実は、下の写真のように、自転車は、向こう側ではなく、こちら側にあるのです。

この写真は、左折して入ったときに見える光景を写したものです。自転車は、車から見れば 「こちら側」 にあります。

道路反射鏡協会のホームページは、「こちら側」 を 「向こう側」 と取り違えるこの勘違いが事故のもとになると警告しています。

こうした勘違いはなぜ起こるのでしょうか?

原因は光学反転です。つまり、「鏡は、その表面に垂直な方向が反転して見えるような光学的変換をする」という物理的な原理だけで説明することができるのです。鏡に向かい合っているときには、前後方向が鏡の面と垂直になるので、前後が反対に見えることになります。その結果、「こちら側」 と 「向こう側」 が反対になって見えるのです。

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この図には、道路とその鏡像が一緒に描いてあります。道路が斜めになっているので少しわかりにくいのですが、それでも、前後方向が反対になっていることは見てとれると思います。実物の自転車を表している手前の矢印は向こう側を向いていますが、鏡に映った自転車を表している矢印はこちら側を向いています。つまり、前後が反対になっているわけです。

実物の自転車を表している矢印は、道路のこちら側にありますが、鏡像の自転車を表している矢印は、道路の向こう側にあります。やはり、前後が反対になっています。

一方、左右は反対にはなっていません。実物のほうでも、鏡像のほうでも、自転車は道路の右側にあります。

(ただし、鏡像の左右を判断するとき、鏡像の自転車の視点をとったりしなければ、の話です。実物の視点から見た実物の自転車は道路の側にありますが、鏡像の視点から見ると、鏡像の自転車は道路の側にあることになり、このときは、視点反転による左右反転が認識されます。)

カーブミラーを見たときには、頭のなかで 「向こうは手前」 という呪文を唱えてみることにしてはどうでしょう? そうすれば、勘違いから事故を起こすようなことはせずにすむかもしれません。

◆ 文献

高野陽太郎 (1997) 岩波科学ライブラリー55 『鏡の中のミステリ ― 左右逆転の謎に挑む』 岩波書店

Takano, Y. (1998)  Why does a mirror image look left-right reversed?: A hypothesis of multiple processes.  Psychonomic Bulletin & Review, 5, 37-55.

Takano, Y. & Tanaka, A.  (2007). Mirror reversal: Empirical tests of competing accounts.  Quarterly Journal of Experimental Psychology, 60, 1555-1584.

高野陽太郎 (2008). 小亀説への批判.『認知科学』 15, 508-509.

高野陽太郎 (2008). 多幡説への批判.『認知科学』 15, 526-529.

高野陽太郎・田中章浩 (2008). 多重プロセス理論による鏡映反転の説明. 『認知科学』 15, 536-541.

高野陽太郎 (2008). 小亀氏への回答: 視点変換の必要性. 『認知科学』 15, 546-551.

高野陽太郎 (2008). 多幡氏への回答: 物理的原理と認知プロセス. 『認知科学』 15, 555-558.

Takano, Y. (2015). Mirror reversal of slanted objects: A psycho-optic explanation. Philosophical Psychology, 28, 240-259.
doi/10.1080/09515089.2013.819279.

高野陽太郎 (2015).  『鏡映反転 ― 紀元前からの難問を解く』  岩波書店