日本人論/自己観理論を批判した英語論文、『認知科学』に掲載(2021年12月)

『認知科学』の第28巻第4号が刊行され、4月に採択が決定した英語の論文が掲載されました。この号は12月15日には J-STAGE で公開され、open access になります。公開された論文を ResearhGate (学術情報公開サイト)に登録すれば、このテーマに興味を持っている世界中の研究者が全文を無料で閲覧できるようになります。

この論文では、日本人論に関する実証的な日米比較研究の結果を報告しています。『甘えの構造』の中で土居健郎は、「客に飲み物を出すとき、アメリカ人はそれぞれの客に好みを尋ねるが、日本人は尋ねない」と記し、以来、日本文化の特質を表すものとして、多くの研究者がこの「文化差」に言及してきました。Markus & Kitayama (1991) は、「日本人が尋ねないのは、客の心を読むからだ」と主張しました。

しかし、研究1では、日本人回答者の過半数は、多くのアメリカ人回答者と同様、「何を飲みたいか、客に尋ねる」と回答しました。この点は、土居健郎の記述とは一致しません。「客の心を読む」と答えた回答者はほとんどいませんでした。しかし、「客に尋ねる」と答えた回答者の割合は、アメリカ人回答者の方が多かったのです。

この差をどう考えるかですが、「日本では、客にはお茶を出す」という習慣が根づいているからではないか」という仮説を立てました。この仮説にもとづいて、研究2では、お客に飲み物を出すとき何を出すか、具体的な飲み物を答えてもらいました。すると、アメリカ人回答者の場合は、水、コーク、ビール、コーヒー等々、答はバラバラになりましたが、日本人回答者の場合は、「お茶」という答が大多数を占めました。つまり、アメリカ人の方が「客に尋ねる」人が多いのは、「お客に出す定番の飲み物」が決まっていないからだと考えることができます。

日本で客にお茶を出す習慣ができたのは、コーヒーも紅茶も一般化しておらず、飲み物の選択肢が少なかった時代のことです。お客に飲み物を出すとすれば、水(湯)か酒ぐらいしかありませんでした。一方、アメリカ合衆国にはいろいろな国の人がいろいろな飲み物を持ち込んできていて、さらにコカコーラとかジンジャエールとか、新しい飲み物も沢山できました。

客に飲み物についての好みを尋ねる人が多いか少ないかは、精神文化の違いを反映しているのではなく、歴史的に形成されてきた社会習慣の違いを反映しているにすぎない、と考えた方がよさそうです。