『日本の死角』の刊行 (2023年5月)

現代ビジネス編『日本の死角』(講談社現代新書)が刊行されました。

2017年に、私は講談社のオンライン・マガジン『現代ビジネス』に記事を掲載し、「日本人は集団主義」という通説が国際比較データによって否定されていることを紹介しました。今回、講談社は『現代ビジネス』に掲載された記事をいくつか選んで、『日本の死角』をいう本を講談社現代新書の1冊として出版しましたが、その冒頭に、私が書いた上記の記事が採録されました。

読売新聞のインタビュー(2021年11月)

読売新聞の「リーダー論」という特集記事のための取材を受けました。「日本人 = 集団主義」説批判に立って、リーダーをどう考えるかという話を所望されました。記事は11月9日の朝刊に掲載されましたが、私が言っていないことも書いてありました。まあ、メディアのインタビューなどというのはこんなものでしょう。

日本人論/自己観理論を批判した英語論文、『認知科学』に掲載(2021年12月)

『認知科学』の第28巻第4号が刊行され、4月に採択が決定した英語の論文が掲載されました。この号は12月15日には J-STAGE で公開され、open access になります。公開された論文を ResearhGate (学術情報公開サイト)に登録すれば、このテーマに興味を持っている世界中の研究者が全文を無料で閲覧できるようになります。

この論文では、日本人論に関する実証的な日米比較研究の結果を報告しています。『甘えの構造』の中で土居健郎は、「客に飲み物を出すとき、アメリカ人はそれぞれの客に好みを尋ねるが、日本人は尋ねない」と記し、以来、日本文化の特質を表すものとして、多くの研究者がこの「文化差」に言及してきました。Markus & Kitayama (1991) は、「日本人が尋ねないのは、客の心を読むからだ」と主張しました。

しかし、研究1では、日本人回答者の過半数は、多くのアメリカ人回答者と同様、「何を飲みたいか、客に尋ねる」と回答しました。この点は、土居健郎の記述とは一致しません。「客の心を読む」と答えた回答者はほとんどいませんでした。しかし、「客に尋ねる」と答えた回答者の割合は、アメリカ人回答者の方が多かったのです。

この差をどう考えるかですが、「日本では、客にはお茶を出す」という習慣が根づいているからではないか」という仮説を立てました。この仮説にもとづいて、研究2では、お客に飲み物を出すとき何を出すか、具体的な飲み物を答えてもらいました。すると、アメリカ人回答者の場合は、水、コーク、ビール、コーヒー等々、答はバラバラになりましたが、日本人回答者の場合は、「お茶」という答が大多数を占めました。つまり、アメリカ人の方が「客に尋ねる」人が多いのは、「お客に出す定番の飲み物」が決まっていないからだと考えることができます。

日本で客にお茶を出す習慣ができたのは、コーヒーも紅茶も一般化しておらず、飲み物の選択肢が少なかった時代のことです。お客に飲み物を出すとすれば、水(湯)か酒ぐらいしかありませんでした。一方、アメリカ合衆国にはいろいろな国の人がいろいろな飲み物を持ち込んできていて、さらにコカコーラとかジンジャエールとか、新しい飲み物も沢山できました。

客に飲み物についての好みを尋ねる人が多いか少ないかは、精神文化の違いを反映しているのではなく、歴史的に形成されてきた社会習慣の違いを反映しているにすぎない、と考えた方がよさそうです。

ブルガリアの研究者と懇談(2021年9月)

慶応大学でポスドクをしているブルガリアの研究者 Plamen Akaliyski さんという人からメールが届き、集団主義・個人主義に関する私の研究に興味を持っているので、ブルガリアに帰国する前に会って話がしたい、と要請されました。パンデミックの真っ只中でもあり、危険の少ない場所を探すのに苦労しましたが、さいわい、古巣の東京大学心理学研究室で名誉教授室を借りることができたので、そこで1時間半ほど、2人だけで文化差の問題について意見交換をしました。

「同調圧力」についての記事を『現代ビジネス』に掲載(2021年8月)

オンラインマガジン『現代ビジネス』(講談社)に、「同調圧力」についての記事を掲載しました。

昨年あたりから、「日本では、諸外国より同調圧力が強い」という議論が流行っています。しかし、しっかりした根拠が示されていることはありません。

今回の記事では、大阪大学の三浦麻子先生たちのウェブ調査と、同調行動に関するこれまでの実験研究を引用して、「科学的な国際比較研究は、同調圧力についての巷の議論を支持していない」ということを読者に伝えました。

外国語副作用の英語論文、『認知科学』誌に掲載(2021年6月)

外国語副作用の実験2つを報告した英語の論文(Takano & Yagyu, 2021)が『認知科学』第28巻第2号に掲載されました。

「外国語副作用」は、「慣れない外国語を使っている最中は、一時的に思考力が低下した状態になる」という現象です。

今回の論文では、「思考が内言を伴う場合でも、外国語副作用は生じる」ということを実験で示しました。「内言」というのは、声に出さずに、心の中だけで語る言葉です。日常の言語活動(会話、交渉、議論など)には、内言が伴うことが多いと言われていますが、今回の実験結果から、そうした日常の言語活動でも外国語副作用は生じると考えることができます。

Takano & Noda (1993) 論文では、外国語副作用の存在を理論的に予測し、実験的に立証しました。Takano & Noda (1995) 論文では、英語を外国語として使っている場合、外国語副作用は欧米人(英語と同じインド・ヨーロッパ語族の言語を母語とする人々)より日本人の方がずっと大きくなることを立証しました。

今回の論文は、外国語副作用に関する私たちの論文としては、それ以来、四半世紀ぶりの論文ということになります。しかし、この論文で報告した実験を行なったのは、2001年から2002年にかけてのことでした。この論文はロジックが少しばかり込み入っているので、どの雑誌の査読者も理解してくれず、なかなか掲載には至りませんでした。今回は退職後で時間があったおかげで、すったもんだの末ではありましたが、粘り勝ちで何とか掲載に漕ぎ着けることができました。それにしても、論文の発表に20年近くかかったことになります。

Takano & Noda (1993, 1995) 論文では、「慣れない外国語を使っている最中は、一時的に思考力が低下した状態になる」という現象を「外国語効果」(foreign language effect)と呼んでいました。しかし、大学英語教育学会で研究発表をしたとき、門田修平氏から「『効果』という言葉は望ましい現象を思わせるが、『外国語効果』は望ましくない現象なので、『効果』という名称は不適切ではないか」というご指摘を受けました。たいへん尤もなご指摘だと思い、以来、この現象は「外国語効果」ではなく、「外国語副作用」(foreign language side effect)と呼ぶことにしました。論文でこの「外国語副作用」という用語を使用するのは、今回が初めてのことになります。

数年前、日本の医学界は、「副作用」という言葉の代わりに「副反応」という言葉を使う、という決定をしました。その理由として、「『副作用』と聞くと『悪い影響』を思い浮かべてしまうが、必ずしも『悪い影響』ばかりではないのだから、『副反応』という言葉に替えるのだ」という説明を聞いた覚えがあります。しかし、日常生活の中で「副反応」という言葉が使われる場面を考えてみれば、いずれは「副反応」という言葉にも「悪い影響」というイメージ(内包的意味)が染みついてしまうのは避けられないでしょう。

新型コロナウィルス対策のワクチンのニュースが、毎日、マスコミを賑わせていますが、そうしたニュースの中では「副反応」という言葉が使われているので、そのうち「副作用」という言葉は死語になってしまうかもしれません。そのとき、「副反応」という言葉に「悪い影響」というイメージが染みついていれば、「外国語副作用」は「外国語副反応」と呼び替えた方がいいでしょう。私の死後のことになるかもしれませんが、遠慮なく呼び替えてください。もっとも、英語では、「副作用」も「副反応」も side effect ですから、foreign language side effect はそのまま、ということになりますが。

日本人論/自己観理論を批判した英語論文、『認知科学』に掲載決定(2021年4月)

日本文化に関する直観的な解釈が妥当ではないことを立証した英語論文が『認知科学』誌に掲載されることになりました。

心理学における「文化研究の専門家」の圧倒的多数は、「日本人 = 集団主義」説の支持者なので、この説を批判した論文は、必ず「文化研究の専門家」である査読者によって reject され、掲載することは至難の業です。この論文も、繰り返し reject されてきました。「editor としては、Markus と Kitayama を批判する論文は掲載するわけにはいかない」と言われたこともありました。

今回は、『認知科学』の編集委員会が、「中立の研究者に査読をしていただきたい」という私の依頼を容れてくださったおかげで、ようやく掲載決定に至りました。この論文を最初に投稿したのは2001年でしたから、論文を掲載するまでに何と20年もかかったことになります。

発達心理学会のシンポジウムに参加(2021年3月)

日本発達心理学会の第32回大会で開催されたオンラインのシンポジウムに指定討論者として参加しました。シンポジウムの企画者は出版企画委員会の荘厳舜哉先生、タイトルは「多様な『わたし』を考える」でした。話題提供者は、別府哲先生(岐阜大学)、広瀬浩二郎先生(国立民族学博物館)、中間玲子先生(兵庫教育大学)のお三方でした。私は「柔軟性という人間性」というタイトルで短い話をしたあと、話題提供者の先生方に1つずつ質問をさせていただきました。発表者以外の参加者は63名だったということです。

放送大学「鏡の中のミステリー」初放送 (2020年10月)

鏡映反転が起こる理由を説明した、放送大学の「鏡の中のミステリー」が10月18日に初放送されました。テレビの特性を活かして、映像と画像を駆使することができた上に、ディレクターの方が懇切丁寧な映像を作ってくださったので、拙著『鏡映反転』(岩波書店)に比べて、説明がずっと分かりやすくなっているのではないかと思います。

当面の放送予定は以下のとおりです。

2020年11月1日 (日) 7:30 – 8:15
2021年 1月1日 (金) 18:45 – 19:30

いずれも、放送大学の専用チャンネルであるBS231チャンネルです。

放送大学「鏡の中のミステリー」の番組収録 (2020年9月)

放送大学のスタジオ(千葉の幕張)で、『鏡の中のミステリー』の番組収録をしました。レギュラーの授業番組ではなく、単発の教養番組です。45分の番組ですが、収録には、朝の10時から夕方の5時過ぎまで、ほぼ1日かかりました。昨年の秋から始まった打合せと準備には、私の方の作業だけでも、その何十倍もの時間がかかりました。

鏡映反転に関する私の研究をベースにして、放送大学の森津太子先生との対談という形式で、私が台本を作成しました。テレビ番組の特性を活かして、画像と映像をふんだんに使うことができたので、短時間の番組ではありますが、本(『鏡映反転』岩波書店)よりは、ずっと分かりやすい説明ができたのではないかと思います。

一昨年の秋には、NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる』で、「鏡の中で左右が反対に見える理由は、『分からない』ということが分かっている」という真っ赤な嘘が全国に放映されてしまい、とても困っていました。今回の放送大学の番組が放映されれば、認識を改めてくれる人も出てくるのではないかと期待しています。

森津太子先生をはじめとする放送大学のスタッフの方々、また、番組制作に携わってくくださったNHKエデュケーショナルのディレクターの方々には、心からお礼を申し上げます。

放送大学の第1回撮影セッションにウェブ参加(2020年8月)

放送大学で制作中の番組「鏡の中のミステリー」のための第1回撮影セッションが都内の貸スタジオで行われました。「基礎疾患のある高齢者」である私だけは、感染防止のため、ディレクターの方のご配慮で、 自宅でウェブカメラの映像を見ながら、「ああだ、こうだ」「ああでもない、こうでもない」と言いながら参加しました。最高気温34度の猛暑の中、外出せずに済んで、大いに助かりました。

最初はナレーターによるナレーションの収録。次がモデルの鏡像の撮影。モデルは、モデル事務所に所属する本職のモデルさん。沖縄出身の可愛い女の子でした。更に、文字の鏡像の撮影、最後に時計の鏡像の撮影で、私が見ていたセッションだけでも正味4時間ほどかかりました。

私が一人で映る場面の撮影も行う予定だったのですが、急遽、ウェブ参加になったため、これは第2回撮影セッションにまわすことになりました。9月はじめに予定されているのですが、それまでに感染の第2波が収まっていることを祈りたいと思います。収まっていないと、「番組か、命か」という究極の選択を迫られることになりかねません。

Cambridge University Press と出版契約 (2020年7月)

Cambridge University Press と出版契約を結びました。これまでの研究で私は、「日本人 = 集団主義」論が事実に反することを明らかにし、複数の論文を日本語と英語で発表してきました。『「集団主義」という錯覚』(新曜社)、『日本人論の危険なあやまち』(ディスカバー・トゥエンティワン)という2冊の本も出版してきました。

個人主義に高い価値を置き、集団主義を嫌悪するアメリカ人に「日本人は集団主義的だ」と思われていることは、日本にとっては、非常に恐ろしいことです。1980年代から90年代にかけての日米貿易摩擦では、「日本特殊論」「日本異質論」と呼ばれた「集団主義」批判がアメリカで猛威を振るい、日本経済は、甚大な被害を蒙りました。アメリカ人をはじめとして、世界中の人たちが「日本人 = 集団主義」論を信じているという危険な現状を改善するためには、この通説が事実ではないことを世界中のできるだけ多くの人びとに伝えなければなりません。そのためには、日本語の本を出版するだけでは不充分で、英語の本を出版する必要があります。

欧米の出版社は、出版企画の提案を受けると、詳しい趣意書(proposal)の提出を求め、それを複数の専門家に送り、彼らの意見にもとづいて審査をしますが、さいわい、趣意書が高い評価を受け、Cambridge University Press と出版契約を結ぶことができました。学界では高い権威をもっている出版社なので、ここから出版すれば、ある程度の影響力は期待することができます。

日本語で出版した前著2冊は、いずれも一般読者層に向けて書きましたが、今度の本は、読者として研究者と大学院生を想定しています。学問的な詳しい議論も収録する予定です。英語の本のマーケットは非常に大きいので、出版社は、そうした本でも採算が取れると判断したのでしょう。今後1年か2年は、この本の執筆に忙殺されることになりそうです。

放送大学アーカイブス番組の放映(2020年1月)

昨年の10月、放送大学の「認知心理学」を「アーカイブス」番組として改めて放映するために、追加する対談(5回分)の収録をしましたが、その対談を含めた「アーカイブス」版の「認知心理学」(全15回)が2020年1月2日、3日、4日の3回に分けて放映されました。2月にも放映されます(1日、8日、15日、22日、29日)。それ以降も繰り返し放映されることになっています。