昨年、イギリスの出版社から著書を刊行しましたが、刊行の前には、出版社の校閲(copyediting)がありました。その校閲のときの話です。
原稿には、karaoke という言葉が出てきました。
カラオケがアメリカで普及しはじめたころ(1990年ごろです)、日本の新聞2紙に「日本人はカラオケは一人ずつ交代で歌うのに、アメリカ人はみんなで合唱している」という記事が載りました。もしこれが逆で、日本人のほうが合唱しているのだったら、「ほら、やはり日本人は集団主義的だから、集団で歌うのだ」と言われたことでしょう。でも、事実は逆だったわけです。
著書の中では、「日本人は集団主義」という通説の反例として、この記事を紹介しました。そこにkaraoke という言葉が出てきたわけです。
「英語ではない外国語の単語はイタリック体にする」というルールがあったので、私はこの karaoke をイタリック体で記しました。すると、イギリス人の校閲者(copyeditor)は、イタリック体を普通の字体(ローマン体)に直してきました。「でも、外国語はイタリックにすることになっているのでは?」と尋ねると、「karaoke は外国語ではない」と言うのです。これには、たまげました。
日本のメーカーがカラオケ機器をアメリカに売り込もうとしていた時代、私はアメリカにいたので、まさか karaoke が英語になっているとは夢にも思いませんでした。
私がアメリカにいたのは1980年代前半のことでした。同じフルブライト奨学金をもらってアメリカに渡り、別の大学に行っていた友人とニューヨーク市で落ち合ったことがあったのですが、そのとき、彼の奥さんの上司もニューヨーク市に来ていました。その人のかつての同僚がアメリカで事業をしていて、昔の同僚をもてなすために、リムジンを雇って、ニューヨーク市の近郊を案内するという話になりました。
昔の同僚に、「アメリカでこんなに成功しているんだぞ」というところを見せたかったのかもしれません。私はまったくの無関係者でしたが、昔の同僚の部下、その夫、その友人という縁で、お相伴にあずかってしまいました。
ニューヨーク市からハドソン川をさかのぼっていくと、ウエストポイントというところに、かのマッカーサーが首席で卒業したという陸軍士官学校があります。その陸軍士官学校の軍事博物館には、長崎に投下された原爆のレプリカ、マッカーサーと重光葵が署名した日本の降伏文書などが展示されていました。
私はそれまではリムジンに乗ったことなどありませんでした。年を考えると、これからも乗ることはないでしょうから、空前絶後の体験だったことになります。
リムジンでのニューヨーク見物の最後は、ニューヨーク市内、日本人ビジネスマン相手のバーでした。白人のホステスがサービスをしてくれるというバーです(日本経済が絶好調の時代でした)。このバーでカラオケに遭遇しました。私はアメリカには5年間滞在しましたが、カラオケを見たのはこれが最初で最後でした。
そのバーには、日本のカラオケ・メーカーのポスターも貼ってありました。日本人の社長さんやOLがマイクを握って、ほろ酔い気分で歌っているというポスターでした。「こんなダサいポスターで、カラオケ機器が売り込めるのだろうか」と余計な心配をしたものでしたが、今では karaoke が英語になってしまったわけです。
日本発の機器といえば、最近では温水洗浄便座がアメリカにも広まりつつあるようです。ネットを見ていると、「日本にやってきたアメリカ人スターが日本の温水洗浄便座に感激した」というような話がときどき出てきます。では、「温水洗浄便座」もいつかは英語になるのでしょうか? まあ無理でしょう。なんといっても、長すぎます。
では、商品名の「ウォシュレット」はどうでしょう? しかし、かりに「ウォシュレット」という言葉が欧米で広まったとして、はたして「日本語が英語になった例」と言えるのか。なかなか微妙なところです。